いつもあげる側として元気な体とエネルギーを保つ事は自分の責任です
自分がいつでもあげる側として、元気な笑顔と、元気な体と、元気なエネルギーを保つ事は自分の責任と考えて、そのためには真剣になるべきだと思うんです。足湯のために時間を使うとか、労力を使うとか、そういうちょっとしたケアを丁寧に…
続きを読む →自分がいつでもあげる側として、元気な笑顔と、元気な体と、元気なエネルギーを保つ事は自分の責任と考えて、そのためには真剣になるべきだと思うんです。足湯のために時間を使うとか、労力を使うとか、そういうちょっとしたケアを丁寧に…
続きを読む →人間の体の中に500万の抗体があり、傷口は何をしなくても治癒力でくっつきます。ヨーガは最大限に自分自身の中にある生命力という治癒力を活性化させるだけですね。ヨーガが病気を治したりするのではなく、自分自身の中にある生命力を…
続きを読む →捨て身になって、力の限りを尽くせば、ほしいものは何でも手に入りますよ。反対に捨て身の努力でやっても手に入らないときというのは、神様からの「あなたの使命とは違うことを望んでいますね」というメッセージですね。例えば、もっと精…
続きを読む →「あるがままの自分でいい」って話をよく聞きます。でも、あるがままの自分でいいことと、自分にチャレンジしないでいいことは同じではありません。居心地がいいといってあるがままでいることは、言い換えると下等な能だけで生きることで…
続きを読む →体や精神的な不調が、ヨーガの回数を経て、自然にすごくよくなっていて、仕事が思い切りできたり好きな遊びができたりと、今元気でいることが普通になっていくんですね。それはそれでいいですけど、自分が今普通に暮らせて元気というのは…
続きを読む →自分の傾向性を超えるためのヒントを活用するためには、本気でないとどんなヒントも生かせません。自分の本気の扉が本当に開いたときだけ、自分の意思で自分を作り変えていくことができるのです。作り変えるというより、本当は、自分の中…
続きを読む →生きていて、「面倒だなあ」という意識が浮かんだときは、情熱が消えたときですね。誰かを幸せにしたい、格好良くなりたい、心が平和になりたいという情熱が消えると、すべて「面倒だなあ」になります。その時には死を待つ人なんですね。…
続きを読む →二つ以上のことを同時にやらなくてはいけないときに、手抜きが多かったり、面倒くさい気持ちが出てきているように見受けられます。人間の可能性は限りないもので、脳みそも十分の一しか使っていないんです。昔は脳みそを全部使える人たち…
続きを読む →みんなで集まって同じ空間でアーサナをする醍醐味というのがあります。一人でエネルギーを呼び込める量は、その人の丹田にあるエネルギーの袋の大きさだけです。でも、みんなでやったら、みんなの心と呼吸がひとつになった時に、自分の袋…
続きを読む →心はすぐにでも100%変えることができる、自由自在なものです。今の自分を縛っているいろんなくだらないもの、男だからとか、女だから、年だから、病気だから、仕事がうまくいかないから、親子関係がうまくいかないとか、いろんな自分…
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