魂の修行には、師の存在が必要です
サッチャダルマさんが必ず最後におっしゃるのは、「もう自分はできる、師はいらない、と思った時から、魂のレベルの降下、堕落が始まる」ということです。それを仏教の言葉では慢心の「慢」ですね。「慢」がくると、人間の品性は本当に卑…
続きを読む →サッチャダルマさんが必ず最後におっしゃるのは、「もう自分はできる、師はいらない、と思った時から、魂のレベルの降下、堕落が始まる」ということです。それを仏教の言葉では慢心の「慢」ですね。「慢」がくると、人間の品性は本当に卑…
続きを読む →サッチャナンダさんは「分けること、与えること、愛すること。それが、カルマヨーガにつながり、人間の魂を浄化に導いてくれる方法なんだ」ということをおっしゃっています。お釈迦様も六波羅蜜の中で、人間が悟りを得ていく魂の修行の最…
続きを読む →部屋の掃除で、いるかいらないかを選り分けることができるようになると、同じ回路で頭の中の整理もできるようになります。それを定期的にやっていくと、選り分け作業がどんどん進んでいって、ふと振り返るとずいぶん自分自身がシンプルに…
続きを読む →一見ネガティブに見えるような出来事であっても、そこからどれだけたくさんのことを学び取るかで、ネガティブはポジティブに変わります。学びが多ければ多いほど、これから先の人生の糧となり、肥やしとなり、栄養となり、実力をつけてく…
続きを読む →いつどんな瞬間もすべての感覚を鋭敏にして、情報をキャッチする。心が決して慣れないことはすごく大事です。そして、その情報に対して動揺しない中心線と丹田力を持つこと。自分を自分のままきちっと保ちつつ、そのときの状況判断が常に…
続きを読む →生きているということは、神様からのテストに合格するか、不合格なのか、ということだけです。その視点だけが常にあり続ければ、どういう時でも「あ、進歩したな」とか、「今は平均点すれすれで合格したな」とか、そういう判断で自分のあ…
続きを読む →体は自分の言う通りになります。体と心は一枚の薄い紙の表と裏という関係ですから、心が非常にネガティブな思いでいっぱいになると、体はその通りにネガティブな状態を生みます。体がどんなに不調だなぁという感じがあったとしても、心が…
続きを読む →当面やりたいこと、小さな目標というのがあると思いますけど、自分の心の中にしまっておかないで、「今日私はこれをします」というふうに、言葉に出してみると叶いやすいですね。言葉に出すことによって、自分自身もまた確認の作業ができ…
続きを読む →親に対する尊敬の思いと感謝の思いがいつもいつもあって、もっとも大事にすべき存在として敬える時、本人の中心に尊敬というものが芽生えて感謝を生むわけです。それがないとどういう人生を歩んでも神様と繋がる道が出来てこないので、家…
続きを読む →美しさの中心にあるのは感謝です。感謝の心がある時、どこから見てもその人は美しく見えます。造作じゃないオーラが、その人の中から強い光で外へ出ているので、何も知らずにその人に会ってみても、こちら側が心を洗われるような気持ちに…
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