おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(3月19日)をお届けします。
◆その決意を「覚悟」と呼びます
私の人生で、「神様がこの時、動いた」と感じていることが二つあります。
一つは、事故ですね。
キューバでの交通事故で足を骨折した後、普通だったら3週間から1カ月で骨折した骨は付くものなんです、自然の治癒力で。
それがなんと、2年も完全に付かないまま時が流れて、お医者さんもお手上げで、なんで付かないのか分からないっていう状況でした。
その時、自分の心の中では、最初は「付かなかったらどうしよう」って不安があり、ヨーガ教室はもう出来ないかなって思ったりしていたんですけど。
その2年目のある日に、検診があって「まだ完全に付いてないね」ってお医者さんにいわれた時に、なんかふと「まあいいか」と。
付かなければ付かないで、このままでいいやと。
車椅子に乗っていても口は喋れるわけだから、モデルを使ってアーサナを見せることもできるし、私はやっぱり車椅子に乗った状態でも、ヨーガのインストラクターをやっていこうと、その病院の帰りにハッキリ決めたんですね。
車椅子に乗ったヨーガの先生っていうのも面白いじゃないかと思って、覚悟を決めたんです。
そしたらですよ、本当に翌々日くらいですよ、骨が付いたのは。
何が起きたのかは全くわかりませんけれど、治っちゃったんです。
その日から普通にレッスンができるような状態に、突然なったんです。
それはほんとに神様が、私の覚悟を評価してくれて、そういう気持ちがあるんなら、治しといてあげたほうが不都合が少ないねって、動いてくださったんだなと思いました。それがひとつ。
もうひとつは、ヨガファームですね。今は紗侑良花と呼んでますけど。
ヨガファームが欲しい欲しいと言って、20年間探し続けていて。
20年間ずーっと、こんなに探しているのに何で見つからないんだろうと思っていた時は、みんなの募金で建てたいって、私は思っていたんです。
みんなの募金で、みんなの協力で、ヨガファームを作りたいって。
でも20年経ったある日、「あ、そういう風に思ってるから見つからないんだな」と。
誰の力も借りないで、とにかく私が死ぬまでひとりでローンを払い続ける。自分だけの責任で、自分の力で、とにかくきっちりとしたものを作ってみせる、って決めたんです。
ものすごい強い気持ちで覚悟したんです。
死ぬまでローンを払い続けるってことが、どういうことかということも、ものすごく考えて。
でも、そういう不安よりも、とにかく、みんなの募金で建てたいと思って20年待っても建たない、建たないっていうか物件が見つからないってことは、何かが間違ってるんだと。
それはやっぱり、私が自分ひとりで責任を持つという腹が括れないから見つからないに違いないとやっと気づいて、そう決心したんですね。
そしたら、これもほんとにその数日後です。今の紗侑良花が、ポンって出てきたんです。ポンっと出てきて、すぐ買ったんです。
あぁ、神様がほんとにご覧になってるんだなあって、しみじみ思いました。
神様が動いてくれたんだなっていうことはたくさんありますけど、この二つは、紛れもなく「私が覚悟を決めたから神様が動いてくださった」という大きな出来事ですね。
いつもお話してますけど、神様は、覚悟を決めた時しか動いてくれません。
覚悟を決めるとはどういうことかというと、1つを選ぶっていうことですね。
大変な道を選ぶ、ということです。自分に逃げ道を作らないで、決心するということです。
大変な道を取る、と決心すると、それに伴って、捨てなきゃいけないものはたくさんあります。
我慢しなきゃいけないこともたくさんあります。
けれど、それを捨て、いろんなことを我慢しても、この1つをやり遂げるという決心をする。
その決意を「覚悟」と呼びますね。
でも、ちょっとした決意じゃないですよ、これは。
本当にいろんなものを捨ててまでも、いくら困難でもやり遂げるべきことを選ぶ。
それが、自分の生きる道なんだ、自分のやるべきことなんだという決心ですね。
誰にも確信なんてないです。確信も保証もないことをやると決心する。
でも、そうする!と強い気持ちで決心することが、覚悟するっていうことです。
それをピッチリ決めたとしたら、それに向かってやらなきゃいけないことがたくさんあると思います。
たとえば、死ぬまでキルタンを歌って、キルタンのエネルギーでヒーリングをしたいと私が決めたら、それはもう、覚悟を決めてそうしたんだから、いくら大好きでも、辛いものは一切ダメ、カフェインの入ってるものは一切ダメ、紅茶もさんぴん茶もダメ、油物もダメ、砂糖もダメ、夜ふかしもダメ、ダメなことがいっぱいあります。
でもそのダメなことをダメ!って捨てていかない限りは、年齢とともに衰えていく声帯を長持ちさせることは不可能なんです。
自然の摂理で、どんな筋肉だって年齢とともに衰えるんですから。声帯だけが衰えないわけがないんですから。
じゃあ、できるだけ長持ちさせるにはどうするか。
絶対に歌いたいと思うのであれば、ほかを全部、捨てるしかない。
それが「覚悟する」ということだと。
小さなことで言えばですよ。こんなことだって、小さな覚悟を伴ってるわけです。
もっと大きな人生の一大事を決めるようなときは、ほんとに強い気持ちの決心、決意をしなければ、神様は応援してくれないです。
神様の応援を頂けない人生は、毎度毎度お話してますけど、ゴミです。
神様の応援をもらえないで生きるなんて、ほんとにゴミだと私は思います。
日常の中で小さなひとつひとつを選ぶときでも、ほんとに確実な決心とともに選び続けていく。
これは内的人生を歩く自分にとって、ふさわしい行動なのか、言動なのか、在り方なのかっていうのが、こんなに大上段に振りかぶって言うようなことじゃなく、常に当たり前の物差しとして自分の中に育ってくると、いつだってほんとにちっちゃいことでも、自分だけがわかる、感動的な神様の応援を、日々朝から夜まで感じることができますね。
それはもう、ほんとにほんとに素敵です。
ぜひ、ちょっと自分の日常での心の動き「覚悟とは?」っていうことも、考えてみてください。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2021年3月11日(木)朝のレッスンで