おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(9月12日)をお届けします。
◆「ありがとう」はどこから来るの?◆
初めてインドに行ったときに、1年間インド中を転々と滞在しました。
どこに行っても、仲良くしてくださるインド人の家族に出会うことができて、インドのいろいろな文化を教えていただく機会が沢山あったんです。
ヒンズー語には「ダンニャワード」っていう言葉があるんですね。「ありがとう」という意味です。私が何かをしていただいた時に「ありがとう」って片言で言うと、必ず「ありがとうって言うんじゃない」って叱られたんですね。
違う家族に会っても同じように、「ありがとうって言ってはいけない」って。よーくよくインド人同士の会話を聞いていても、「ダンニャワード」っていう言葉を言ってるインド人が全くいないんです。
あるとき「何でありがとうを言っちゃいけないの?」って聞いたんですね。
そしたら「僕があなたに何かをやってあげることは当たり前のことだから、あなたがありがとうを言う必要がない」と。
「インド人はみんなそう思ってる。誰かに何かをやるのは、やる人はやることが当たり前になっていて、たまたま自分に対してやってくれてるだけのこと。自分もいつもやるべきことを誰かのために一生懸命やっているから、いちいちいちいちそこでありがとうっていうと、ありがとうばっかりになって鬱陶しいから、当たり前のことだからありがとうなんて口に出すものじゃあない」って言われたんです。
そうなんだーって。その時はまだヨーガも本格的には始めていなかったので、意味が深くわからなくて、ちょっと下町の人間と似てるなー程度にしか思わなかったんですね。
その後にニューヨークに1年半くらい住んで、ニューヨーカーと部屋をシェアしてたんですけど、彼女は1日に50回以上「ありがとう」を言うんです。
ちょっと「あ、それ取って」って言われて取って渡したら「ありがとう」。なんかちょっと手伝ってもすぐ「ありがとう」で、どっちがいいんだろうって、自分のなかではずっとテーマとして考えていました。
ヨーガを真面目に勉強しだしてわかったことは、インド人の精神性の高さです。
私たちはカルマヨーガと呼びますけど、インド人はみんながみんな当たり前のこととして人に尽くす、それは実は自分のカルマを取ってもらうチャンスをくれたあなたに、ほんとは「ありがとう」なんだという意味をわかっている。
生まれた時から、カルマヨーガなんて言葉はないんですけど、何かを人のためにやらせていただくのは自分の陰徳を積むためというのがDNAのなかに、すべての人のなかに入っている。
だから、あなたから「ありがとう」なんて言われたくないっていうか、言われてもしょうがないんだよって。僕は普通のこととしてやってるんだからっていうのが本当に当たり前なんです。そういう精神性の高さです。
かつての日本も、陰徳を積む、思いやりの心、個人情報のルールなんかなくても、人の道として当たり前のこととして、誰かのプライバシーは尊重する、人の聖域には絶対足を踏み入れないなど、子供の頃から、自然でごく普通に当たり前でした。
今では日本人の倫理観や良さがどんどん毒されて、とにかくルールを作らないと、プライバシーを侵害してはいけないこともわからなくなり、口先だけの「ありがとう」でも言い続けないと人間関係が壊れちゃう、という世の中になっていますね。
明後日からリトリートで、リトリートに入ると、マウナですからね。「ありがとう」を言いたいって思っても言えないし、ぶつかったとしても「ごめんなさい」って言いたいと思っても言えません。
その時に、誰のために「ごめんなさい」って言いたいと思っているのか、誰のために「ありがとう」って言いたいと思っているのか、を見ていくのがとても面白いです。
本当に相手に感謝して、心の底からありがたいと思う「ありがとう」かどうかの区別も、マウナだととってもよくわかります。
結局は自分が嫌われたくないために「ごめんなさい」って言いたいだけなんじゃないかとか、自分が良く思われたいために「ありがとう」を言いたいんじゃないかなども見えてきます。
表現されたものよりも、その奥にある思いを瞬間的に受け取れるだけのエネルギーに対するアンテナ、言葉じゃないものを拾える集中力を限りなく大事に磨いていきたいですね。
その意味でも、リトリートのマウナはとてもよい訓練になります。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2019年9月5日(木)朝のレッスンで