昔は、クーラーをかけて窓を閉めてレッスンするということは全く考えられませんでしたし、私自身が寝るまでクーラーをかけているなんてことも考えられないことでした。
食べ物についても、いま思えば無知としか言いようがないですけれど、添加物でも何でも食べて絶対に体のなかに毒を溜めずに、いいものだけを吸収してあとは排泄する、信念としてそういう体をつくると威張っていた時期もあります。
そういう昔の信念は、とっくに捨てました。
やはり時代っていうか、もう地球全体の異変によってそういう信念なんて何の役にも立たずに、体がどんどん駄目になっていくんだなぁっていうことを受け入れざるを得ないような状況になっていますね。
信念のために何かをやるわけではなくて、どういう外的な条件のなかでも健やかで明るくてパワフルで元気で若々しくいられるように。
仕事が楽しくて仕方がない、または自分の使命としてやらせていただけることがワクワクしてたまらない、そういう自分をつくるために、何を選び何をどういうふうに考えるのかということですね。
いろんな外的な条件に合わせつつ臨機応変に変えていきながら、それでも「変わらないもの」をずっと見続けるべきだと思っています。
5千年前からインドの聖者たち賢者たちが抱えてきた問題、人はなぜ生きるのか、人の魂はどうなっているのか、なぜ人に悩みがあるのかとか。
それはずーっと続いていて、そしてまだ現代も同じ問いかけを持って人間は生きています。
本当は人間はこの肉体じゃない、死ぬこともない永遠の魂です。
そしてその魂は、何も持って帰れない。この肉体が終わる時に目に見えているものは何にも持って帰れない。ただ魂のなかに刻み込まれているカルマだけを持って帰る。そのカルマと共にまた次の肉体に入るのです。
だからこそそのカルマを、どのように自分は刻み込んでいくのか。
よいカルマもあれば悪いカルマもある、それは全部自分の責任においてつくっているカルマです。そのカルマがまた実は自分を苦しめたり、高めたり、応援したり悩ませたりするわけですね。
自分は魂なんだと、そしてこれは終わりがない、永遠に続く存在なんだということを、言うのは簡単ですけど、実感が持てるというのは本当に大変なことですね。
そこに実感が持てれば、やるべきことはものすごくシンプルに分かってきます。
でもどうしても肉体というものがあって、外的な条件の中で外的な我欲のままにものを見たり感じたり判断したりしているわけです。
そこにヨーガの教えの深さというか、大きさがあります。
5千年の歴史のなかに連綿と受け継がれて、道をどんどん分かりやすく示して下さる聖者たちのご尽力のおかげで、私たちは答えを先に知ることができます。
あとはそこにどうやって自分が実感を持つのか、というものすごくシンプルなところまで頂いているわけですね。
いろんな変化、地球そのもののありとあらゆるもののびっくりするような変化のなかでもブレずに見ていくもの、見据えておかなければいけないもの、目指すものは何かということです。
「変わらないもの」をずっと、失わない情熱で見続けていきたいなと思います。
ヨーガ教室主宰 紙や まさみ
2018年7月18日(水)朝のレッスンで