苦行は身に付きません。これはブッダも言っていますけど、苦行はいくらやっても「嫌だな」という解放されたい渇望とそれを与えている者に対する憎しみと怨念が湧くだけです。瞑想も「座るのが嫌だな」という心を切り捨てないとただの苦行です。それを自分の精神的な問題に置き換えてみると、まだ起きる前の事柄に対して「嫌だな」を持っていないかということが言えます。よく分からないのに「こういうタイプの人は嫌い」とか「この手の問題は苦手」とか。それは、瞑想で座るのが嫌だなということと全部同じだと私は思います。「座ることが嫌だな」と思う心をクリアできた時、日常生活の精神レベルにおいても何か「嫌だな」と思うことがクリアできるはずです。
ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ