「もう一人の自分の目」を育てましょう

癖を直したいのなら、癖に気づかなければ直すことができません。

癖に気づくというのは、客観的な目で自分を見ることができるということです。

その癖が出る前に「あっ、これはやめると決めたことだな」と気づけることです。

事実と感情を切り離す練習は、生活全般においてとても重要です。

感情というのは厄介なもので、感情にまた感情で反応するから更に感情が混みいって、何もかも事実を隠していくんですね。

そこに、自分が思いたい感情が新たに加わり、どうにも出口のないモヤモヤとした中で日々が動いていく。

感情で生きている人は、何歳になっても、結局、感情にまみれたまま棺桶に入っていくしかないのです。

けれども、事実というのはそうではなくて、実際に起きている現実のありのままの「事」であり「もの」です。

その事実だけを見るということは、感情で事実を隠そうとする動きに気づくということです。

それには「もう一人の自分の目」が必要です。

「もう一人の自分の目を持ちましょう」というテーマは、私のなかに40年近くあります。

それが一番、心の風通しがよくなる方法です。

眠っている時以外はずっと、事実を隠そうとする感情的な自分の動きを徹底的にキャッチし続けると、だんだんもう一人の自分の目が育ってきます。

やめたいと思っている自分の考え方の回路とか、心の動き方の癖とか、もちろん行動の癖もありますね。

そういうものをやってしまう前に「これはやめると決めたことだな」と気づいて防いでいって、だんだん自分の調教が進んでいくんです。

気づいてもコントロールできないぐらい、心というのは厄介なものです。

緊張している自分に気づいても、まだ緊張したり、怒っている自分に気づいて、もう怒らないと決めてもまだその種火が残っていたり、もうくよくよしないと決心したとしても、どこかでまだくよくよの雫の硬いものが心にこびりついてたり。

ほんとに厄介です。でもそのことに気づかずに、翻弄されて感情にまた感情の輪をかけて反応し、またその上に感情の嵐をぶつけてドロドロになっているよりはマシです。

気づいてもできないこともあるんだな、という気づきですから。

それはいつか必ずできるようになっていく道筋に乗っている、ということです。

毎日たった3分間でも、「事実と感情を切り離して心の中を見る」という取り組みは、日常生活をどんどん変えていきます。

自分の情報を、どれくらい事実と感情を切り離して見ていけるか。

これはもう練習しない限り育っていかない回路で、練習すれば確実に育っていく回路です。

それによってもう一人の自分が悪い癖を止めてくれるようになれば、やはり気持ちのいい時間はどんどん増えていきます。

アーサナのやり方もそこにあるんです。自分のとっているポーズが、完成のポーズとどこがどう違うのか、ということを見られるもうひとつの目ですね。

それは、もう一人の自分の目でもあります。

ヨーガ教室 シャンティパット主宰 紙や まさみ
2018年2月1日 朝のレッスンで