おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(7月31日)をお届けします。
◆「事実はなぁに?」というシンプルな問いかけ
タットワ・シュッディのパート1とパート2のワークショップは、内容がとても深くなって、昨年は言語化できなかった部分が、かなりはっきりと明確に言葉にできたので、コミュニケーションの誤解というか、私の講義がどれほど伝わっていないかということがとてもよくわかって、勉強になりました。
私は言葉を省く癖があって、自分にとって当たり前になったときから体のなかに消えちゃうんですね、その言葉が。誰でもそうだと思います。
起きて歯を磨いたのよとか、起きてトイレ言ったのよっていちいち言わない。ご飯の前に手を洗いましたって言わないみたいに、当たり前に自分のやっていることっていうのは、言葉でいちいち表現しないので。
一番びっくりしたのは、自分が悪かったと思わない限り心の平和は来ない、その出来事に対して「あぁ私が悪かったんだな」と何秒後に本当に素直にそのことを思えるかっていう話のときです。
それができないと、事実と感情の切り離しは絶対にできません。
私が「あぁ本当に悪かったって思えば、心が平和になる体験が出来るのよ」という時の自分は、自分の中に相対的な感覚がなくなっていて、この部分に関して、常に24時間ほとんど神様と対話しています。
私が悪かったというのは、当然のことながら神様に向けて懺悔しているんですね。
それを受け入れて、どこがどういう風に悪かったのか。じゃあ次に同じ間違いを犯さないためには、どういう点検が必要で、どういう新しい課題を自分に課すのかってことを考えます。
それも全部、対象は神様の目なんです。
神様の目からご覧になった時に、どうしろっておっしゃっているのか、言われているのかと、考えるんですね。
でもそれが、色々話している時に、皆さんの返答が完全に相対的な考え方なので、こんなに噛み合っていなかったんだっていうことがわかって、もう一回パート1とパート2を最初からやり直したいくらいでした。
当たり前になって体のなかに棲みついてしまった感覚を拾い上げて、当たり前でなく、言語化して伝えるっていう私の新たな課題ですね。
ひとつひとつコミュニケーションを取り、念を押しながら確認をしながら、誤解がないかどうかをよーく確認して先へ進んで行った方が、結局最終的に早く理解してもらえるのではないかと、そんな風に思いました。
でも、あのタイミングでそのことがわかったのは、本当によかったです。
まだパート3とパート4がありますので。
でもパート3とパート4は技術編ですから、タットワ・シュッディで大事なことはすでにもう全部語ってしまいました。
パート1とパート2のなかでお話したこと全部を、皆さんがもう一回、大前提は相手が神様しかいないっていう目で、自分の取ったノートを読んでいただくか、私の話したことを思い出してください。
聞いていた時の耳と心と頭じゃなくて、相手は神様という前提のもとにです。
その上でこの言葉はどういう意味を表すのだろうって、もう一回考えていただくと全貌がはっきりすると思います。
それと、やるべきことがたったひとつの本当にシンプルなこと、「事実はなぁに?」って。これだけを24時間自分に問い続けること。
それさえできればタットワ・シュッディの、毎日一本ダイナマイトが爆発して、自分のサンスカーラがどんどんどんどん掘り起こされて消えていくっていう、タットワそのものの効果の恩恵を100%手にすることができます。
この「事実はなぁに?」っていうのができるようにならない限りは、どれだけ頑張ってもタットワ・シュッディの効果は1ミリも現れません。
その効果に自分で気付けないからです。体のなかで大きな変化が起きていても、自分がそれをどんどんドブへ捨ててしまうからです。
ここのところが、昨年はお伝えできなかったことなので、本当によかったと思います。
24時間出来る練習ですから。
「事実はなぁに?」 徹底的にそのことに取り組む。
しかも「事実はなぁに?」という事実を見せなくしているのは、自分は悪くないという考えなんだっていうところが出てきたので、とても具体的でわかりやすいと思いますね。
自分は悪くないという言葉を使っていなくても、違う形で自分は悪くないと言っている。それをどうやって見破って、その癖を直していくかっていうことです。それができれば、タットワ・シュッディの偉大なる恩恵が、全てあなたの手のひらのなかで花開きます。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2020年7月25日(土)朝のレッスンで