おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(7月17日)をお届けします。
◆どんなにダメでもダメじゃないんです
先週は素晴らしいグループーニマになりました。
おまけに、中止というか延期になっていた35周年も一緒にやることができて、とてもよかったです。
待望の新しいテキストも、前日の夜にギリギリで到着したほやほやを皆さんと一緒に味わって見ることができて、本当に素敵な一日になりました。
グルーのサッチャナンダさんがまだ肉体を持っていて下さった頃には、私も毎年インドに手紙を送り続けていました。
そのときに、一年を振り返ってグルーに自分の色々な部分、360度から自分を見て、教室のことも、体のことも、サーダナのことも、エネルギーのことも、全部を含めて点検して、そのなかで一番成果が上がった部分、気付きの深かった部分にフォーカスして、グルーにお手紙を書くということを毎年していたのですけど、本当に有り難かったですね。
一年に一回そういう日がなければ、あんな風に追い詰められて自分を客観的にどこまでも対象化して、全てを言語化して整理整頓するということはなかったと思うので。
ある意味ではグループーニマにグルーに手紙を書くというその日のために、自分のサーダナが深まっていくという、張り合いですね。
グルーが読んで下さったか読んで下さらなかったか、それは知る由もありませんけれど、そういうことは重要じゃなくて、どこにいても体の芯まで心の中心まで何でもお見通しなわけですから、いまさら手紙なんて書いたって書かなくたって彼にとっては同じことだったとは思うんです。
それは自分自身のために、そういう機会を与えていただいてたんだなぁという気がします。
いまタットワ・シュッディのパワーポイントをリニューアルしているなかで、もう一回タットワの文献を勉強しています。
最終的にステージを上げるには、とにかく自分のありのままを客観的に見るしかないということが書かれています。
見ればいい。見てどうこうする、それをどうするかということは必要ではないと、それはタットワ・シュッディで自動的に起きることなので。
ただし、徹底的にありのままの自分を客観的に見られない人は効果が出ない。
なぜなら、タットワ・シュッディで自分の全部が変わっているのに、自分の我欲と思い込みと経験でゼロにするからですね。
いみじくもこの間の日向の日の、「痛めちゃった」発言と同じことです。
反応だって言えば、神様が反応を起こしてくれたのだからもうそれで一瞬で治ったものを、自分は「痛めた」という言葉を使ったので、天に痛めて下さいって言っちゃったので、神様は「はい分かりました」と言ってもう一回痛めた。 反応じゃなくして痛めることになった。
タットワ・シュッディでも同じように、全部のバランスが整うことで肉体によって邪魔されている、いろいろなものが消えちゃうんだけど、結局、客観性がないがゆえに、消えた事実をすっと受け入れることができないから、過去の経験値と思い込みと習慣で、自分で全部ゼロに戻してしまうんです。
という事が書いてあります。やっぱりそうねって。
徹底的にありのままを見て受け入れる、というのは勇気もいることですけれど、整理整頓能力に直結しているんですね、実はこれが。
カテゴリー毎にきっちり、何においても全てのことにおいて整理整頓ができる人は、ありのままの自分をあるがままに受け入れるということが、わりとスムーズにいきます。
何故なら混ざっている状態が、気持ちが悪くてしょうがないからです。
けれどカテゴリー別にきっちりした整理整頓ができない人が多くて、何でここにこれが混ざるの? っていうことが多い。
そういう人はやっぱりありのままの自分に本当に気付けないです。
わからないから、分類できない。そして分類されていないグレーゾーンが気持ち悪いという感覚が育っていない。
心のなかにある感情をカテゴリー別に分けて、全部をきっちりジグソーパズルみたいに並べ替えていくという所から入れる人はそれでもいいですが、それはなかなか現状では難易度が高いかなという気がします。
なので、とにかく徹底的に整理整頓をすれば、心の中の整理整頓にも繋げて考えられたときに上手になるのではないかと思いますね。
いずれにしても、ありのままの自分がどんなにダメでも、ダメじゃないということが分からないから受け入れられないんですね。
神様の目からご覧になったら、全員を愛の元に肉体を与えてくれたわけなので、どんな人もダメじゃないんです。
ありのままを知る、っていうことさえ出来れば。
一番始末に悪いのが、ありのままの自分を知らない、つもりの世界で生きている人、どうにもならないです。これはもう猛獣ですね、野獣を超えて。
周りの人は本当のことは絶対言わなくなって近寄らないで、ちやほやするだけしか方法がないからです。本音は言えないから、言ったら猛獣が襲ってくるから。
そういう人にだけはなりたくないなと思います。皆さんもそう思っていると思います。
であるならば、ただ見ればいいだけの本当にシンプルなことなので、ただ見て、あぁそうなんだって受け入れれば、いろんなサーダナが綺麗にお掃除してくれて、さらさらと流してくれるようになります。
教典のなかで、そういう風になっている。
素直にそこに自分をもっていけばいいだけなんです。だけなんですけれど、これが難しいから何人も自分の傾向性に悩んだり、落ち込んだり、事件を起こしたりしているのだと思いますけど。
時代が変わりましたからね、令和はそんなことをぐずぐず言っているときではない、そういうエネルギーじゃないんで、ものすごく速いですよ。
言ったらそうなる。だからネガティブなことも言ったらその場でそうなる。ポジティブなことも、言ったら必ずそうなるんですよ、本当に。
それがこの令和という時代の、特別なエネルギーの時代の意味なんです。
グループーニマが終わって、来年のグループーニマに向けて、皆さんもいま、やる気に満ちていると思います。
ぜひこの令和の時代に乗るためにも、徹底的につもりの世界ではないありのままの自分をただ受け入れるということに、集中できるとよいと思います。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2020年7月11日(土)朝のレッスンで