おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(7月3日)をお届けします。
◆毎月、水晶と会話する時間を持ってみましょう
日向の神子になる日に、ご自分の水晶を塩水の入ったグラスに入れて一晩、さゆらばなの地場のなかでどういう泡が出るのか?
自分自身の現状を、客観的に見せていただきました。
今回は、それぞれの水晶にかなり沢山の泡が付いていたので、各自のエネルギー的にはなかなかよい状態にあると思いました。
その容器に泡が沢山付いていた人とあまり付いていない人がいました。
容器に泡が付いていないのは、周りからの応援が少ないという解説をしましたが、ちょっと補足説明が必要だと感じましたので、お話します。
周りから頂く応援は、本来、平等です。神様から降り注がれているものは、えこひいきがないんです。全ての人に平等に応援が降り注がれています。
そこにプラスアルファ自分の周りの方々から、沢山の応援を頂いているのです。
泡が付かなかった人は、頂いている応援をはじき返している人なんです。
貰っていないって言うんです。意識がですね。そこに感謝の気持ちが足りないということです。
愛されているな、愛されているな、本当に私は愛されているなって感じることが出来ている人は、泡がいっぱい付いています。
なぜなら応援を頂くということは、愛を頂いていることですよね。
神様からの愛は、無条件に全ての人を愛しているわけですから、もっとも大きな愛。平等ですこれは。
親がいる人もいない人も、子供がいる人もいない人も、関係なく神様から、宇宙から、天からの愛というのは、平等に降り注がれているのに、自分が本当に愛されているなって思っているかどうかですね。
神様からの愛だけでなく、自分の家族や出会っている周りの人や全てですね。応援を貰っている人から、本当に愛されているなーって思える人は、この愛されているなー、が有り難いなに繋がるはずなんです。
有り難いなというのは、感謝の心が動いていることですね。
有り難いと心底思えて、それが行動に結びついている人は、容器にも泡がいっぱい付いていました。
自分の水晶に付いた泡と、容器に付いた泡を比べたときにどうだったか?
ということを、もう一度よく思い出すと、自分の今の心のなかに足りないものが見えてきます。
愛をはじき返していれば、どれだけ降り注がれていても、結局自分は貰っていないという気持ちになっているので、それは受け取っていないですよね。 はじいて捨てているわけだから。
どんなに人の目から見て、不運であり不幸に見えるような境遇にある人でも、その人の心のなかに天から愛されているから、こういう試練を与えて貰って有り難いって思えていれば、器にものすごい泡が出ているはずです。
水晶を塩水の入った容器に入れて自分自身を客観的に見るというのは、本当は毎月の満月に行います。
今回、日向の神子になる日は新月で、特別なお祭祀なのでやりましたが、本来は毎月必ず満月の日、または満月の前の日に置いて、満月の朝の外のエネルギーを頂く、太陽を頂ければ一番いいです。
その状態を少し経ってから見ることで、自分の体調や心のなかの状態、エネルギーレベルがわかります。または容器に付く泡によって自分の感謝が減っているとかブレているとかも。
愛をはじき飛ばしている自分の傲慢さというものもです。本当に毎月変わるので、深いところで気づきがあります。
これを機会に、ぜひみなさんもお家で毎月水晶と会話する時間を持って、自分自身が常によい状態を保てるような気づきを、そこからもいただけるとよいと思います。
今年の日向の神子になる日は、400年に1回くらいの星の配置のなかで行われて、先生の、私達全員の直霊魂(なおいのみたま)を開いてあげたいという思いがピークに達していたので、何とも本当に、本当に素晴らしいお祭祀になりました。
ちょうど私のなかでは、2017年にサッッチャダルマさんが、全員のクンダリーニを上げてみせるとおっしゃった、あの時の気迫をおそばで感じさせていただいたので、それと同じような愛を全身でヒシヒシと感じました。 これに応えなければ人としてどうですか? っていう思いで、いまはいっぱいですね。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2020年06月24日(水)朝のレッスンで