おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(8月29日)をお届けします。
◆日常生活こそが練習の場です◆
シャンティパットで学んでいるヨーガは、サッチャダルマさんのお陰で本当に秘伝の中の秘伝をたくさん頂くことができています。
私自身がBSYに出会うまでに世界の32か国くらい回って、どういうヨーガが世界で行われているのかを見てそのエッセンスと、死の宣告から這い上がるためのヨーガで、私自身が見つけたことを合わせてお伝えしています。
ヨーガ道を極めるんじゃなくて日常生活を極めるということが、ヨーガに出会ったときからの私の考え方です。
自分が自分の内的な人生をスタートさせていけば、人間は皆、朗らかに楽しく元気に、愛を発信する生き方ができるんです。
そういう生き方をしたら神様が喜ぶということは、天上界で体験してきていることだし、遺伝子のなかにも魂のなかにも組み込まれているんですね。
その通りに毎日を生きて行けば、悩みなんてあるわけないのに、肉体というものを持った時からどういうわけか、自己保身と、自分が自分が私が私がっていう我欲と、まわりにどう思われるかという気持ち、そして過去への執着がつきまといます。
10年も20年も前の過去を後生大事にしっかり握りしめて、ことあるごとに取り出しては手のひらの上で転がし続けている。過去に対する執着が、毎日を清々しく爽やかにはつらつと愛に溢れていつも元気にピカピカできるのを阻んでいるわけです。
ヨーガで学んでいることをきちっと理解して日常的に使えば、本当にびっくりするくらい早いスピードでそこから解放されていくんです。 びっくりするスピードだなというのは、私が体験しているので。
特にスワン・メソッドがあって、クリア・ヨーガがあって、タットワ・シュッディという流れのなかでものすごい加速度がついて、一気に上ったという感じの解放感。
2004年に足りないものは何もないという、全ては自分の心のなかの問題で、手のなかに全部あるんだなという日常生活での実感が、スワンとクリアとタットワシュッディで確固たるものになっています。
皆さんも同じことをしているわけですね。タットワはこれからスタートするのですけど、同じことやってるのになんでそんなに解放されないのか。
いつまでも悩みがあったり、問題を抱えていたり、いつまでも悔しい思いがあったりするのはなんでだろう、ってずっと観察をしながら考えていたのですけど、ひとつのことが思い当たりました。
全員じゃないですけど、人によってはシャンティパットで学んでいることを周りに言えないというか、宗教的だと思われるのが嫌だとか、ヨーガって何よって思われるのが嫌だとか、そんな内的な人生なんて言ったって、どうせ周りにはわかってもらえないとか、そういう思いで日常はここにいる顔じゃない顔をしている人が、お勤めをしている人は特に、多いように感じます。
シャンティパットにいる時間と日常生活をしている顔が違うんです。
当然のことながら、日常生活のなかで練習をするからこそ、どんどんスキルが上がって、どんどん解放されて、どんどん幸せになるのですけれど、会社にいるときに違う顔をしているなら、そこでは練習を放棄しているわけですよね。少なくとも毎日会社にいる8時間は完全に放棄している。その後に会社のお付き合いでご飯を食べに行ったりしても、その間もずっと練習を放棄しているわけです。
だから練習の成果は積み上がるはずがないんです。
24時間ここにいる自分と同じままの自分でいて、外でどんな人に会っても私はヨーガをやってこういうことを勉強している、とそのままいる。外の人に会えば新たな発見があってそれが自分にフィードバックされるので、自分のなかの修正すべき点がよくわかって、そこで一段階上がっていくという日常が24時間続きます。
顔を使い分けている人たちは練習を放棄しているので、それでは上手にできるようにはなりませんよ。
取りあえず体の健康だけはキープできているけれど、悩みからも解放されないし、執着からも過去からも解放されない、我欲からも解放されないし、自己保身からも何にも解放されない。
ここがね、すごく問題だと思います。
やはりいい加減に会社向けの顔っていうのを止めて、自分がなんでヨーガに出会ったんだろうと考えてみる。
そしたら一時は今の友達が全部離れてしまうかもしれませんけど、オッケーです、それは。違う価値観の人達とは付き合えないので。
魚は海のなかで海を知り、海のなかに生きる別の魚と仲良く共有した価値観で泳ぎ続け、さらに上手な泳ぎかたを学び続ける。
野菜は畑っていう価値観のなかできゅうりに出会ったりキャベツに出会ったりする。絶対にトマトは海で育たない。魚なのにトマトの様な顔をしながら畑にいて、上手に泳ぐ方法を学ぶなんてあり得ないんですよ。畑で泳ぎの練習はできないんだから。
そういう腹の括り方をきちっとして、24時間練習できる自分の顔を外にさらけ出さない限り積み上がらないです。それはヨーガに出会ってもどんなセミナーを受けても、どんなトレーニングを習っても、結局は取りあえず筋肉だけがついてくるっていうレベルで終わります。
非常にもったいないことだと思います。
せっかく一切の自分の悩みから解放される道が、これほどはっきりと、何段目はちょっと高さがあるよというようなことまで教えてもらえる場所にいながら、会社向けの顔を取り繕うがためにその練習時間を放棄しているのはものすごくナンセンスで、シャンティパットにいる意味があるのかなっていう素朴な疑問を私は感じますね。
もっと貪欲にもっとちゃんと24時間練習をすると、はっきりと自分は内的な人生を歩いていくんだって思えます。
誰のためでもないですよ、自分の人生ですから。
自分の魂修行のために肉体をもらって、自分の魂が解放されるために命っていうこの肉体の時間を神様が下さっている。
その3分の2を別の顔で、会社向けの顔で練習を放棄している、っていうことではなかなか進まないのは当たり前です。
一日も早くできるだけ早く、自分という顔がどこにいても誰といても同じ顔でずっと24時間練習時間だという意識を持って日常が変わっていくと、相当早いスピードで何もかもから解放されて、いつもお話ししているように神様が「必要なんだよねこれ」って言って、ポンって結婚とか、ポンっともっといい仕事とか、ポンっと試験に受かるとか、そういうものをポンポンくれるようになるんです。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2019年8月15日(木)夜のレッスンで