おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(8月1日)をお届けします。
◆必要なものだけが与えられます◆
私の経験では、持っていいタイミングの時に必ず、欲しいものは何でも神様がくれると思っていましたし、実際にいただいてきました。
先日、本を読んでいたら、「神様は欲しいものをくれるわけではない。あなたに必要なものだけを与えてくださるのだ」っていう一文が目にとまったんです。
あっ、神様は欲しいものをくれるのではなくて、必要なものを与えてくれるのかと思ったときに、私が欲しがったものはすべて、神様の目から見て私に必要だったから全部くれたのだということがわかりました。
欲しいと思ったものが手に入らなかったことは、かつて一度もないんですね。それは、必要でないものを欲しがったことがなかったということだったんです。
けれど、神様の目からご覧になって、必要でないものを欲しがっている場合、これは絶対に手に入りません。
なぜなら必要でないからです。
自分が欲しがるもの、自分が欲しいと思うものが自分の人生にとって本当に必要なものかどうか。
きちっと客観的に検証してみることが大事だと、その本を読んで感じました。
私にはない見方の新しい発想だったので、このヒントはもしかしたらみなさんのお役に立てるのではないかと思いました。
今世どういうふうに生きて、生き切って、使命を果たして、魂のレベルを上げて、神様との約束を果たして帰るか。
どういう魂の状態、精神的なレベル、どういうカルマを積んで帰るのかということは、もう自分の体のなかにあるわけですね。
天上界できちっと約束してきたことですから。
それを果たすために必要なものを「欲しい」と頭で思い、心で思い、脳みそが願った場合は必ずタイミングを見て神様がそこへ置いてくださる。 絶対です、これは100%。
けれど、今世の自分の生きる道に対して、我欲や我で「欲しい欲しい欲しい」って言ってるものは、どれだけ欲しがっても与えてもらえないってことです。
すごくわかりやすく、とてもさっぱりしましたね。
貰える人と貰えない人、何でかなとずっと思ってたんです。
それはもちろん自助努力の成果です。
欲しいものを置いてもらえないってことは自助努力が足りないのか、もしくは、今世のあなたの人生には不要なものを欲しがっているのか。
必要でないもの欲しがったって、絶対に手に入るわけがないんですから。
神様が与えてくれないから。
そういう見方で、自分の感情を客観的な事実として見ていくと、心が解放されるのではないかと思いました。
それによって、ひとつの執着が消え、本当の意味での自分の進むべき方向がはっきり見えてくると思います。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2019年7月25日(木)朝のレッスンで