「美しく生きる」とは下品なことをしないことです

おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(6月13日)をお届けします。

◆「美しく生きる」とは下品なことをしないことです◆

シャンティパットのテーマは色々ありますが、とても大事なひとつに「美しく生きる」がありますね。

「美しく生きる」ことのなかには、愛、豊かさ、清らかさ、恥じらいなど、とてもたくさんのことが含まれていると思います。

そのなかでも、下品なことをしない、上品に行動することが「美しく生きる」うえでとても大事だと私は思っています。

たとえば、私はなるべく頻繁に貴船神社にお参りしようと努めています。

産土様ですし、貴船神社から富士山までの真っ直ぐなエネルギーの霊ライン上のちょうど真ん中にさゆらばながあるというのは、偶然ではなくて神様がこの場所を御用意してくださったからですよね。

日本の中心である富士山を通じて流れるエネルギーを、さゆらばなにさらに多く通していただくために、貴船神社に御参りをします。満月や上弦の月、下弦の月、なるべく多くお参りをさせていただいています。

スケジュール的にものすごくハードで、行くのが精一杯という時もたまにあるんですね。「着いたら、あぁあの階段を上るのかぁ」みたいな気持ちで行くときがあるんです。

貴船神社は階段を上らなくても、一本手前を曲がって車で境内まで行ける道もあります。家を出てから貴船に着くまでの道すがら、「今日はこんなにボロボロだし、行くのが精一杯。あの階段を上るのかぁ。車で境内まで行っちゃおうかなぁ」という考えがふとよぎる。「うーん、どうしよう。行くだけで勘弁してもらえないかなぁ」という気持ちが起きるんです。

その時に、最終的に私がどういう風に考えて決めるかというと、「車で境内まで行くってそれは駄目でしょう。下品だよね」となります。

「しょうがない、どんなにゆっくりでも一段ずつ上って行けば最終的には上に着けるから、正面の駐車場にちゃんと車を停めて、手を清めて、あの百段以上ある階段をゆっくり上がっていくしかないな」と決めると、スッと体も心も軽くなるんですね。

「あぁ、良かった。安易な方向を選ばないで良かったなぁ」と、決めた後に、歩き出した後に清々しく思います。

何が美しいことか、何が上品で何が下品かという物差しがないと、そのときに「まぁ疲れているから車で行く道もあるし、いいじゃないか」と思うのではないかと想像します。

この、自分がやっていることは品がないのではないか、と考える、日常の立居振る舞いのなかで下品な行動をとらないように意識をすることは、とても大事なことだと思っています。

上品に行動する、上品とはどういうことかを探していき、それが段々美しく生きるということにつながり、最終的に品性を高めるという所まで行くといいなと思うのです。

向上しようとする自分と、怠けよう、ずるしよう、後退しようという卑しい自分が、誰の中にもいます。

小さいことですよ、人にはまったく分からない。車で境内に行くか階段を上るかなんていう心のなかの騒ぎは、誰にも分からないことですけれど、自分のなかで「下品な方へ流れないで良かった」と思う小さな達成感シールを貼っていって、積み上げていく。

これは一生続くものだと思います。けれどその意識があるだけで、人生は美しさを放ってくると、私は確信します。

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2019年2月23日(土)朝のレッスンで