おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(1月31日)をお届けします。
◆一見ネガティブな出来事も、好転反応です◆
ヨーガも東洋医学の考え方をベースにしていますので、東洋医学を勉強したり興味を持った人は「好転反応」というのはご存知ですね。
好転反応が出ないようなヨーガのやり方もあると思いますけど、骨格矯正を目的とするシャンティパットのヨーガは必ず好転反応が起きます。 この好転反応によって汚いものが外へ出るときに、とにかくびっくりするようないろんな症状が出ますね。
皆さんもそれを好転反応として受け止めるときに、何の迷いも疑いも持たなくなるまでに相当の年月がかかったと思うんですけれど、その考え方を持てたということは、本当に幸せだと思います。
好転反応の考え方をどんどん大きく捉えていけば、人生に起きるネガティブなことは全部好転反応です。
たとえば、突拍子もない自分の想像を超えるような価値観の人にいじわるされたり、事故にあったりということでさえも。
肉体に出るのと同じように、心編、人間関係編、精神編、ということもあるわけです。
体に出た反応だったら、ちゃんと温めてよく寝るとか、やるべきケアをやりますね。ではそのネガティブな出来事に対して、温めてよく寝ることに匹敵するのはどういうことなんだろうと、考えることで気づきがあります。
それが苦しくないと言ったらちょっと語弊がありますけれど、42度を超える熱で頭が割れそうで、歯が折れそうな感じで痛いとき、苦しいに決まっているんですけれど、でも心のどこかで「あ!これは好転反応だから、これを超えれば身体の使い勝手がもっとよくなるんだ」とか「もっと元気になれるんだ」という希望が心の深いところにあるのは、紛れもない病気でこれは治らないかもしれないと思いながら42度の熱と痛みに耐えているときとはもう、天と地ほどに心のなかの安らぎ感が違いますね。
同じ様に、精神も、心も、人間関係も、そこに起こるネガティブな出来事を好転反応と捉えるときに、これを超えさえすればもっと上手に人間関係をつくれる自分になれる、これを超えれば違う価値観に対して自分の取組む姿勢がはっきりと見えてくる、と思える。
苦しい最中にあっても、ひとつ希望の光が中心にあって、どこかでバックアップしながら「よし!反応として乗り越えよう」ということができるのは、やっぱりとても素敵なことだと思います。
もしそれを知らなければ、愚痴と人のせいと人の悪口でいっぱいになって、自分の頭と身体を自分の考えで汚すわけですから。
脳は主語を知らないんです。だから人の悪口を言っているときでも、悪口は全部自分に帰ってきて、汚い言葉と汚い思いを全部自分のことだと判断して、自分にそのよくないエネルギーを振りかけています。
自分は誰かの悪口を言っているつもりだけど、結局その悪口は全部自分に振りかかる。自分で自分の細胞のなかに落とし込んで一杯にしているんですね。
そういう悪循環に陥らないで済むのが、好転反応という考え方です。
何があっても受け取る、どんなネガティブなこともOK、反応だから超えさえすれば次のステップがある。
本当に素敵な考え方だと思います。
新年会のハヴァンとキールタンが素晴らしいパワーで、私自身も久々の大きい反応が出ました。その後、驚くほどに体が柔らかくなったので、熱というのは、関節にこびりついているカルマを、こういう風に剥がしてくれるということがよくわかります。
アーサナをやって、自分がびっくりするくらい、抵抗がなく曲がったりねじれたり足が開いたり上がったりしています。
好転反応は年齢さえも関係なく、体も心も素敵に柔軟にしてくれるのだと思いますね。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ
2019年1月24日(木)朝のレッスンで