魂の修行には、師の存在が必要です

サッチャダルマさんが必ず最後におっしゃるのは、「もう自分はできる、師はいらない、と思った時から、魂のレベルの降下、堕落が始まる」ということです。それを仏教の言葉では慢心の「慢」ですね。「慢」がくると、人間の品性は本当に卑しくなる、としています。増長する、慢心する、そういう思い上がりの心が、先生についていないとどうしても出てきやすい。間違った方向に行き、間違った思い込みと、間違った力で、世の中を汚していく。

私の場合は、サッチャナンダさんとの運命的な出逢いをいただけたところから、本当の意味での魂修行が始まりました。

ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ