「ねばならない」に縛られるのは無意味

自分の中の「本物の小さい神様」が進む方向性を示した時に初めて、喜びと情熱とやる気をもって、「こうあるべきだな」「こうするべきだな」っていう手応えがあります。それは、ストレスにはならないです。一つ一つ丁寧にやっていくんだなっていう、楽しい作業になりますね。好かれたいとか、いい人だと思われたいとかという欲望のために、「ねばならない」を自分がいま持っているとしたら、早くそれを手放すべきですね。「ねばならない」を完璧にやったからといって、好かれる保証はないし、いい人だと思ってもらえる事は、ほとんどないですから。
ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ