おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(4月8日)をお届けします。
◆今日やっていることは昨日のルーティンと違うはず
昨日、サルサのクラスで、ベト先生から「みんな簡単で慣れたステップになると立ち方の姿勢も悪いし、ステップもおざなりになって、とてもパフォーマンスとは言えない」っていうことをきつく注意されて、振り付けの冒頭の部分からものすごく丁寧に細かくご指導いただいたんですね。
ちょうど昨日、私がみなさんのスーリヤ・ナマスカーラを見て同じことを感じていたので、まさにこのタイミングで、サルサでそういうことを注意されたなって思います。
ひとつひとつのクオリティを上げ続けるための集中力と丁寧さというのが、慣れてくると消えちゃうんですね。
そこでまたすごいなと思うのは、「まさみ語マーチ」です。慣れるな、逃げるな、諦めるなという、私が40年前に自分に言い聞かせて、言い続けてきた言葉です。
「慣れ」というのが、何もかも汚らしくしますね。
人間関係も同じだと思います。
慣れが持つ匂いと色が、私は本当に嫌いです。
それは毎日生きているのだから、ルーティンのなかに慣れが出てくるのは当たり前のことなのかもしれませんけれど、でも昨日の自分と今日の自分が違うということがわかっていれば、同じことをやっていても、今日やっていることは昨日のルーティンと違うはずだと発想できます。
その発想が一番大事だと思うんです。
同じスーリヤ・ナマスカーラですけれど、同じサルサのステップ、振り付けですけれど、毎日自分の身体が変わっているわけだし、音楽に対する理解も変わっているわけだから、昨日より今日、カッコよくステップを踏めてなきゃおかしいはずだし、スーリヤ・ナマスカーラにしたら、毎日筋肉の状態も変わっているわけだから、今日の発見というものが言語化できるくらいはっきりと掴めなきゃおかしいと思うんですね。
その気持ちが消えてしまうのは、もう慣れきっていて一連の動きの流れがわかっているから、スーリヤ・ナマスカーラはこんなもんだって、どこかで脳が新しい発見をし続けようとするのを止めてしまうからですね。
その時できたはずの重さの移動とかも曖昧になるし、重さそのものの大きさも曖昧になっていく。
本当は逆に、毎回重さの玉の微妙な調整があり、使い方が上手になっているから、毎回姿がきれいになっていなきゃおかしいはずなんです。
昨日はクラスで結構ショックを受けたので、ベト先生の目から見るとサルサでの私達のチームの動きが、そういうスーリヤ・ナマスカーラと同じことになっていたんだろうなと思います。
それは日常生活も同じなのではないかと思います。
日々進化するとはどういうことかも頭で考えて理解して、進化するためには集中力を持って生きる、覚醒した意識で生き続けることが大切で、慣れだけの動きは、私の言葉だと「死を待つ人」ということになります。
集中して、覚醒した意識で生きていた方が100倍楽しいです。
そのことが、実感を持ってわかってくるように、面倒くさがらずに自分の脳に言い聞かせることが私は大事だと思います。
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2022年3月31日(木)朝のレッスンで