私たちは息をしているから生きています

おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(10月17日)をお届けします。

◆私たちは息をしているから生きています◆

「私とあなたは一対一です」というのがシャンティパット創立以来の、一番大事な、中心にある私の考え方ですね。

35年前は、携帯電話もFAXもない、家の黒い電話しかない時代だったので、何かを伝えようとすれば、会うか家の電話にかけるかしかなかったので、一対一という手応えがいつもいつもありました。

でもだんだん、何でもかんでもメールで来るようになってからは、本当にその人が書いたのかなっていうのもわからないですよね。一応名前は書いてありますけど。

フェイスブックや、不特定多数の顔の見えない人たちとのやり取りが普通の感覚になってくると、面と向かって目を見てお話しするのがどうも億劫になったり、電話をかけて事情を説明するのも面倒になったり、どんどん息の届かない関係が世の中じゅうに増えていますね。

でも、息が届かないと気が合わないんです。

画面では息が来ないから。
パソコンもスマホも同じです、息が届かない。

電話は息が届くんですね。吸っている、吐いていると、微妙な息づかいまでわかる。
会っていれば、必ず息が届くでしょ。

息が届く関係しか気が通い合わないと私は感じます。

シャンティパットの大事にする、一対一の付き合いというのは、たとえば約束を守れないときは必ずその相手にごめんなさいって電話しますよね。

または、一対一の付き合いで大事に思ってもらっているから、そのお陰で良いことがあったら、こんな嬉しいことがありましたって、会って言うか電話するか報告しようとしますよね。

そういう本当に息が届くつながりというものを、もう一度自分のなかで確認して頂けるとありがたいと思います。

それは同時に、現代の息の届かない関係ばかりが増えてしまった世の中において、とっても素敵に見えるということです。生きてるねって。

息が届く人は、イキイキして生きてるように見えるんですよ、やっぱり。
命の元は息だから。

息が届くということは、あの人息してるねということがわかる。
画面のなかでは、息をしてるかしてないかわからないので、そういう関係ばかりになってくると、生きてるんだけど息をしてない人になっています。

今は、電車に乗っているほとんどの人が息をしてません。全員がスマホの画面を見てるから、脳に全く血液がいっていないストップした状態で目と指だけがなんだか動いてる。

それはヨーガとは、正反対の対極にあることだときちんと知りましょう。

スマホもパソコンも、文明の利器ですからやむを得ず使わなければならないと思いますけど、それは息をしている人間が道具として上手に使いこなしてこそ初めて、便利な道具です。

そういう息吹の感じられないものに自分の脳みそと体と心が乗っ取られてしまえば、自分という存在が機械に吸収されちゃったってことです。

それに気づくには、日常的にもいつも集中することですね。
何があっても今この瞬間に集中する、100%集中する。

考え事をしながら人の話を聞かない。
最後まで、話が終わるまできちっと集中し続ける。

こんなとてもシンプルな当たり前のことですけど、できない人が驚くほど増えています。

これは、クリヤヨーガにもタットワッシュディにも全部つながります。常に事実と感情を分けて把握し続ける、観察し続けるというのは最低条件です。

それができるようになったうえでの、クリヤでありタットワシュッディなので、流されないように、機械に自分が乗っ取られないように。

自分は息をしているから生きている人間で、だからイキイキとした感情が自分のなかに湧いてくる。

それをいかに素直にまっすぐ駆け引きなく、すぐに直に自分から発露できるかというのが、やはり素敵な人の条件だと思います。

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2019年10月10日(木)夜のレッスンで