自分を見ているもう一人の自分を育てましょう

5月に今年2回目のリトリートを開催します(日程の詳細はホームページの「お知らせ」と、別途フェイスブックを参照してください)。

それに先立ち、リトリートを終えた後のあの爽快感と達成感を思い出していただきたくて、前回2月のリトリート後のレッスンでお話ししたことを以下に再録します。

リトリートから2週間以上経ちましたけど、その後の変化はいかがでしょうか。

自分の体の中を爽やかな風が吹いてるあの感覚。軽さと広がりと静けさ。

特にシャンカプラクシャラナ(腸の洗浄)とクンジュール(胃の洗浄)を終えた後の瞑想で味わった集中力の高さ、そこで得た気づきなどが、日常に戻って2週間ぐらい過ぎると、どんどん鈍くなっているのが現実だと思います。

それに気づき続けることによって、鈍くなるのを遅らせることができます。

今回のリトリートでは特に全てにおいて、やっていることに集中する、マウナに集中する、自分を見ているもう一人の自分を意識する、ということを強調しました。

ソーハム瞑想を一生懸命やっているけど、そのやっている自分を見ているもう一人の自分がいる。

瞑想の最終段階ではこのもう一人はいなくなるんですけど、まだ現段階ではもう一人の自分をずっと持ち続けた方がいい。そこに重きを置きました。

ソーハム瞑想をしながら眠くなって、うとうとし始めた自分を見ている、もうひとりの自分がいたおかげで、あ、眠りそうになっているという気づきがあり、そこでもう一回目を覚まして瞑想に取り組み、やり直すということができたと思います。

このもう一人の自分の目を持つというのは、創立以来ずうっと言い続けていることです。

イメージとしては360°写せる広角レンズが絶え間なく、暴れ馬のようにいろんなところへ飛んで行ってしまう自分の心をキャッチし続けているということです。

手綱のついてない馬をずっとそのレンズの視野の中に入れ続けて、何をしているか見えないぐらい遠くにその馬が走って行ってしまっても、その姿をずっと捉え続けている。

そういう感覚でもう一人の自分を作っていくと、トレーニングによってだんだんズームがきくようになります。

どれだけ暴れ馬が遠くで暴れていても、もう一人の自分のレンズがグーッとズームをかけると何をしているかが見えてくる。

そのうち、意識をしなくてもいつでもズームがかかるようになります。

暴れ馬のように手綱のついていない心が、一瞬であっち、こっちの遠い所に行ったとしても、何をしているかを見えるように写しだすことができるようになるんですね。

そうすると次は、その暴れ馬に手綱をかけるという作業にステップが上がります。

手綱さえかけられれば、今度は手綱をコントロールするということができるようになります。三段階目の作業です。

自分の心を自分が見ている、プラスもう一人の自分がその作業をしている自分を見ている。

それができることによって自分自身の調教が本当に早くなります。

今回のリトリートではその手応えをみなさんが味わいましたね。

ぜひ日常的に練習を続けましょう。

こういう日常のトレーニングの中で、自分が鈍くなってるなぁという気づきを得ることができたら、リトリート後のあの素晴らしい静けさを取り戻すために、自分が今何をしたらいいかということがはっきりしてきます。

それが日常生活の豊かさとなり、心の平和の深さとなり、静けさとなり、感謝とときめきで、いつも感動がある日常になっていくのだと思います。

ヨーガ教室主宰 紙や まさみ
2018年2月28日(水)朝のレッスンで