自分自身の限界を超える
夢を諦めない、どんな地獄に思えるようなところからでも、自分自身に挑戦していけば必ず天国に辿り着ける。私がとても好きな生き方です。生きていくということは、いろいろなものから逃げたい時がたくさんあります。神様の仕組みですから…
続きを読む →夢を諦めない、どんな地獄に思えるようなところからでも、自分自身に挑戦していけば必ず天国に辿り着ける。私がとても好きな生き方です。生きていくということは、いろいろなものから逃げたい時がたくさんあります。神様の仕組みですから…
続きを読む →私は特に「日拝」のことを「太陽を食べる」と言いますけれど、日拝が心とからだを健やかにエネルギッシュに保ってくれるとても大事なことだと思っています。毎日太陽を食べ続ける、日拝をし続けると、どんどん「真我」が外に光を放ちやす…
続きを読む →カルマヨーガの理解度は、その人の魂の発展段階に比例します。頭では理解できても、目先の損得や物質的な社会にどっぷり浸って生きている場合には、どうしても根本的な理解が難しいです。得をしないのならやりたくない、大変な思いはした…
続きを読む →「我」の強さが、心の平和を乱します。自分の思い通りにいかない、自分の好みのやり方じゃない、存在そのものが好みじゃないと思うのは、「私の好みはこうだ!」という「我」があるからです。「我」が消えたら、いつも何でも受け入れるこ…
続きを読む →ヨーガは体を敏感にさせてくれます。五感さらには第六感までもが甦ってきます。それによって一瞬一瞬に変化している自分の心と相手の心、目に見えないエネルギー、ありがたさといったものがはっきりと分かってきます。 そして、自分は何…
続きを読む →「仁義をきる」ことと「他人の聖域を敬う」、この二点は非常に大事なことです。これができないと、人間関係がギクシャクしたり、人間恐怖症やうつ病になったりします。「仁義をきる」とは、言い換えれば「礼儀」です。ここだけは手を抜い…
続きを読む →言葉も資格も、月収やポジションも何の役にも立たないところで、本当にただ一人の人間としてそこにいて、どれほどの光りを放って魅力的かどうか。一番大切なことは、そういうことだけです。 私たちはヨーガという道具に出会えたのですか…
続きを読む →「面倒だなぁ」という言葉が心に浮かんだときっていうのは、生きる情熱が消えた時です。情熱とは、誰かを幸せにしたいとか、心が平和になりたいとか、元気な気持ちのいい大好きな自分でいたいとか、そういうことに対する情熱です。いくつ…
続きを読む →カルマヨーガとは、やりたいか、やりたくないかという考えが浮かばなくなって初めて、そのレベルに達します。得意だからやってもいいな、暇だからやってもいいなというのはカルマヨーガには入ってないんです。断れないからやっておこう、…
続きを読む →体の好転反応も出ますが、心の好転反応もあります。心の反応は分かりにくいのですが、思い当たることがないのに落ち込んでいるとか、悲しいとか怒っているとか、イライラしているとか、そういう形をとって出てきます。 そういうときに、…
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