[Masami Blog]いつも「おもてなしの心」を自分の中心に

おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(8月13日)をお届けします。

◆いつも「おもてなしの心」を自分の中心に

おもてなしの心を理解して身につけると、多分、サーダナで実現しようとしている自分自身というものの、全てが手に入るのではないかと思います。

そのくらい、人をもてなす時に使う想像力と集中力と行動力とエネルギーは、限りのないものですね。

どこまで考えても、もっと出来るかもしれない。
それは、相手の方に喜んで頂けるように、整えるってことですね。

何を整えるんですかって、まず自分の心であり、自分の体調であり、環境であり、調度品であり、もし食べ物であれば、食材であり、調味料であり、調理法であり、そこに向かう自分自身の真剣さであり。

それがまた押しつけではなく、その相手の方の体調と好みと環境と現在の状況というものを、自分の細胞の全てを使って想像した上で、自分のやり方の押し付けじゃなく、「喜んでいただけるためにはどうしたらいいか」というところに向けるからですね。

ほんとに、このおもてなしの心というのを、もっともっとお伝えしたいし、学んでいただける方法はないかなと思いますね。

私にとっては、もてなされる側より、もてなす側の喜びっていうのが、最高のエクスタシーですね。これを超える喜びって、私の中にはないような気がします。

喜んでいただけたかどうかという結果よりもですね、こうしたら喜んでいただけるのではないかと、全細胞を振り絞って考え続けて行動し続ける時の、なんともいえない自分の幸福感というのがあります。

たとえば、フレンチのコースだと銀のカトラリーが一人10本くらい必要です。7人分だと70本を一人で磨くわけで。グラスも、一人6客とすると、42客を一滴の水滴の跡も付かないように磨き上げるとか。お皿は大体10品だとやっぱり70枚はあります。

それも全部、裏まで磨き上げる時に、自分の誠実さっていうものが今、試されているなって感じるし、これが綺麗だったら本当にいいエネルギーをグラス自体が放つので、さぞかし喜んでいただけるのではないのかなー、と思う時に溢れ出てくるセロトニンとβエンドルフィンですね。

これは究極のカルマ・ヨーガの姿勢です。神様をおもてなししたいと。

それは、献饌(けんせん)っていう言葉とイコールです。「捧げたい」と。

じゃあ、神様が一番喜んでくださる形ってなんだろう。限りなく深く広く考え続けて献餞する。それが本当のカルマ・ヨーガですね。

カルマ・ヨーガもおもてなしの心にも、我が一切ないってことです。

タットワ・シュッディもクリヤ・ヨーガも全てここに行き着きます。サ−ダナで今欲しいと思う境地は、我がないってことですね。

我がない、執着がない。ただ相手の喜ぶ顔を想像する。

神様が、どんな風にしたら本当に喜んでくださるんだろうと想像する。その一心だけで、おもてなしの心が行動に結びつくのだと私は思っています。

サ−ダナも大事ですけど、いろんなアプローチを使いながら、結局は自分の中から我を消していく、くだらないプライドを消していく、執着を消していく、っていうことをやり続けてますけど、おもてなしという切り口から学べると、日常生活にものすごく早く役に立ちますね。これはコミュニケーションの基本でもあります。

それは、物が動かない場合でも、エネルギーが動くので。

いつもおもてなしの心が自分の中心にあれば、そういうエネルギーで人とコミュニケーションを取ろうという姿勢が生まれてくるんですね。

そこには「我」がないってことですよ。まず相手ありき。

そういう意味でも、ほんとに、これからはこの「おもてなしの心」というテーマを、どうやって具体的にお伝えできるかっていうことを考えたいなあと思っています。

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2021年8月5日(木)のレッスンで