[Masami Blog]完成図を描いて、そこに近づく自分になる

おはようございます。
まさみブログ「本気の扉」(9月4日)をお届けします。

◆完成図を描いて、そこに近づく自分になる

自分がしていることが、大きい全体のなかでどういう役割をしているかを知りましょう、というお話をしました。
その続きです。

何かをするときに、必ず、まず完成図を先にイメージする。

タットワ・シュッディでも、結局、自分の最終地点の映像が持てなければ、今日やるサーダナが曖昧になりますという話をしました。

それよりももっと具体的に、日常生活でのこともです。
たとえば、料理をつくるときに完成図がキチッと描けていないものは、絶対に美味しくないです。

味が曖昧で、盛り付けも綺麗じゃないし、野菜の切り方も相応しくない。

完成図がピチッとあるときは、どういう野菜の切り方をすればいいか、どのくらいの火加減で、どのくらい火を通すとあの完成図に近づくか。 どういう割合で、どういうタイミングでこの調味料を入れるのかという、ひとつずつの作業が明確になっています。

すべてのことに、まず先に完成図を描いてから、いまやるべきことを考える。

そうすると、その手順に間違いがないっていうのは共通しています。

たとえば1本のメールの返信をするとき、相手が読んだとき、どういう気持ちになるのか、どういう理解をするかっていうことをまず考える。それが完成図ですね。

相手を不愉快にさせたり、わからない、曖昧、漠然としてる、なにこれ失礼ね、っていうような感情を与えない。気持ちよくご理解いただいて気分もよくなる。読んで、元気がでる。

という完成図から戻ってきて文章を書くと、そこには思いやりもある、想像力もある、言葉遣いが相手の身になって選ばれている、っていうことが自然にできていますね。

アーサナだったら、ひとつのアーサナをやるときに、このアーサナをした後に、自分の体はどういうふうになるか、というイメージを持つ。

そのイメージした完成形を頭のなかに描き続ける。
あの完成形に近づくために、いま自分はこのアーサナをやるんだと。

たとえばウエストが1センチ細くなる、お尻がグッと5センチはヒップアップする、という完成のイメージを持っている。

同時に、ひとつのそのアーサナの完成形も目指す。

じゃあ、どこにどういうふうに力を入れたらいいんだろうっていうのは、その完成図が頭にあれば、力を抜くべきところ、もっと力を入れなきゃいけないところ、もっと引っ張るところというのが明確になります。

そこから一息10秒吐けば、必ずイメージ通りの所に酸素が行き、脳が筋肉を締めるように、って指令を出してくれる。

完成図をまず描くってことをしないで取り組んだ場合には、行き先の定まらない、波に揺れている小舟のようなものです。

どこに辿り着くかわからない。非常に不安定で曖昧で、力も入らなければ、そこに集中力を使ってあそこに行く、という意志が乗らないですね。

だから、できあがったものは散漫ですし、やっぱり美しくもないし、美味しくもない。

体にしても、20年やっても30年やっても、体型も変わらなければ元気度
も変わらない。

内的な作業にしても、サーダナでも、ただただやってるけど、じゃあ日常生活がどんなふうに変わりましたか? って、人が見たときに、あの人何も変わってないわよね、って。

毎朝ものすごい時間かけてサーダナをやってるらしいけど、ってなっちゃう。

同じ時間をかけて同じことをやるんですけど、やはりその時に、まずですよ。どんなことでもまず、完成図を先に描く。

そこからバックしてきて、いまやることの手順を集中して考えます。

その練習をもっとしたほうがいい、っていうか必要だなって思います。

いつもいつもそういうふうに取り組んでいると、その完成図の描き方がどんどん上手になって、しかもどんどん細かくなって、クオリティが上がるんですね。

ひとつひとつの完成図のクオリティが上がれば、自ずと内的人生というものがはっきりするし、この外的人生、相対的な人生の中でも、自分のやっていることが非常に客観的に見えやすくなる。

自分のやるべきことというのも、もっともっと細かく明解になります。

迷う時間もないし、失敗することもものすごく少なくなってくるし、できあがったものが綺麗で、豊かで、感動するようなものに仕上がっていく。

それはそうです。そういう完成図を描くんですから。そこに近づく自分になるってことですね。

タットワ・シュッディで皆さんの意識が今回、随分変わりましたから、大きく。

ぜひ、日常のなかで忘れずに、いますぐからです。
いますぐから、取り組んでいただきたいことです。

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰 紙や まさみ
2020年8月27日(木)のレッスンで