自分を知り続けていくことで見える境地があります

カルマヨーガをご存知ですか?

カルマ(Karma)は、「行為」が語源の言葉です。

よきにつけ悪しきにつけ、あらゆる因果は行為に結びつくのです。

すなわちカルマヨーガは、囚われない心を持って捧げる無償の行為です。

私のグルーの師であるシヴァナンダさんは著書のなかで、カルマヨーガというのは聖者にしか行えないものだと書いていらっしゃいます。

なぜかというと、最終的に我というもの、我欲が消えた状態でしか本当の意味でのカルマヨーガは行えないものだからです。

そういうレベルの高いヨーガであることは事実ですが、それを文字として読んだ時に私はかなり衝撃を受けました。

けれども我欲だらけの私たちでも、いつかはカルマヨーガに取りかからなければ、何回生まれ変わっても本物のカルマヨーガの境地に到達することはできません。

また、その境地に到達できない限りは、ずっと苦しみだらけの肉体を持った三次元に、何十回も何百回も生まれ変わり続けて厳しい修行を延々と繰り返さなければなりません。

私たちは小さな、そして低いレベルから少しずつカルマヨーガに取り組んできました。

取り組みを始めた時点から振り返ってみれば、褒められたいとか、よい行いは自分がやったんだと言いたいとか、みんなに知らしめたい、という気持ちが少しずつ、薄紙を剥ぐように少なくなっていることに気づきます。

そういう我欲はもちろん私にもありますが、それがだんだん気にならなくなってきました。

ほんとに微々たるかたつむりの歩みでも、「進んできている」と素直に思う瞬間があります。

誰も見ていないところで身を捧げて、献饌させていただいてる自分を「ありがたい」と心底思えること。

そういう気持ちを味わわせていただける時が増えてくることは、何よりも人生の宝です。

そのことによって、これまでずっとつくってきてしまった悪しきカルマを消してもらっているのですから。

それを消してもらわない限りは、明日からのよりよい人生はつくれないのです。

悪いカルマが邪魔をして必ず自分に戻ってくるわけですから。

カルマヨーガこそ、いま自分が取り組む、目指している人生をいち早く自分のものとして手に入れることができる道筋です。

そのためにもアーサナが大事だったり、プラーナーヤーマが必要だったりします。

ぶれない心と丹田力を身につけること。

それから常に自分を見つめているもう一人の自分が消えないこと。

自分の傾向性、トラウマを乗り越える勇気を持ち続けるための筋肉をつけること。

そうしたヨーガ全般を通して、ほんとにいつかシヴァナンダさんのお書きになっているような境地で、カルマヨーガを淡々と、喜びを持って神様に捧げるというピュアな境地まで到達したいと思います。

なんとか今世のうちにできるといいなぁと、私自身は日々自分との闘いをしています。

自分の持っている傾向性は生涯消えないもので、小さくはなるけれど消えてなくなることはないのです。

ある時は体調不良によりその傾向性がのさばって暴れることも未だにあります。

そういう自分を知り続けることが大事ですね。

もう一人の目が「またやってる、また失敗しちゃって、でも明日こそ、明後日こそ、次の瞬間こそ、次のチャンスこそ」と言いながら、自分に自分で鞭を打ち続けて、自分との闘いにちょっとずつ勝っていくことしかないのだと思います。

ヨーガ教室主宰 紙や まさみ
2018年3月17日(土)のレッスンで