海だけを見る時間、空だけを見る時間

20年くらい前に、伊豆高原のヨガファームでテントを張って「リトリート」が始まりました。

当時はいつも、午前3時くらいに起きて、朝のミルクティーを飲みながら静かにぼーっとしていると、まるで自動書記みたいに、その「リトリート」に参加する人に向けてのメッセージが降りてきました。

毎回毎回、そうでした。

月を見ながらミルクティーを飲む、あの静かな夜明け前の時間というのは、かけがえのない大切な時間でした。

いまはテントではなく、新しく建てた真鶴のヨガファームで「リトリート」を開催しています。

でも、同じように暗いうちに起きて、窓を開けて空を眺めるのですが、頭の中がぼーっとできなくなりました。

今日一日のカリキュラムの、よりよい成果を生むためにはどうしたらいいか、みたいなことをついつい考えてしまうのです。

そうなってから、自動書記のような閃きが降りてこなくなりました。

先日、脳が閃きをもたらす瞬間というのは、ぼーっとした時にしか起きないということを聞いて、なるほどと納得しました。

今は考えることもやることも、ものすごく量が増えてしまったので、夜明け前の、あの素晴らしい時間を持てなくなっていました。

刻々と空が移り変わっていくなかで、月の影がどんどん薄くなっていくのをながめることにだけに集中するような時間。

自分の我が、時間がもったいないからと、やらなきゃいけないことをシャカシャカやるようになってしまったせいで、閃きが降りて来なくなったんだなと思いました。

真鶴の庭には置き物の蛙がいるのですが、海のほうを向いて置いてある蛙を見た時に、「そうだ、宿題だったんだ」と思い出しました。

ずーっと海だけを見続けること、空だけを見続けること。

そういう心の余裕と時間的な余裕を生み出すために、他の時間の集中力をもっと上げて、やるべきことをもっと短時間で終えようと年頭に誓ったばかりでした。

そういうつもりで過ごしてきたのに、余った時間でもっと何かやりたくなって、結局一瞬もぼーっとしていないことに気づきました。

またもう一回やり直し。

とにかくどうやってぼーっとするかということを、一生懸命取り組んで考えて挑戦しようと思っています。

今年が直感の年であり閃きの年であるということは、そのエネルギーの恩恵をいただいたほうが絶対的に人生がよくなるに決まっていますから。

そのためにも意を決して、ぼーっとすることに取り組もうかなと思っております。

ヨーガ教室 シャンティパット主宰 紙や まさみ
2018年2月8日 朝のレッスンで