負荷を楽しむ心が無限の可能性を広げます

ストレスはものすごい悪者だと言われています。
では負荷をかけるっていうことはストレスじゃないのかというと、ある意味一種のストレスですね。

例えば筋肉も、負荷のない使い方であればどんどんどんどん細くなっていって、年齢とともにもう使えなくなっていくわけで、筋肉というのはある一定以上の負荷がグーッとかかった時に太くなるんですね。

それと同じで、やはり自分の持っている能力というものも内的にも外的にも、ある種の負荷をかけていくことで限界を超えていく。

どんどんどんどん。

自分のこれが精一杯と思っていたものが、負荷がかかることによってもっとできるようになり、またそこに負荷がかかることでさらに上回っていく。

その負荷がストレスなのか負荷なのかという、このぎりぎりのところですね。
それはストレスになって、癌になったり病気になったりすればアウトです。

けれど、だからといって負荷がなく、「現状維持は後退」のままどんどんどんどん後ろへ下がっていってしまえば同じようにアウトなので、やっぱり自分の中でこの負荷をストレスと感じない、もしくは負荷だと喜べる範囲はどの辺にあるのかということ見極めていく。

そこでやはり事実と感情を切り離すっていうことが、また重要なポイントになってくるわけですけれど。

「シャンティパットのヨーガは、楽にやらないで下さい、無理して下さい」と入会早々に私が言います。「痛いことを痛いように、痛くするようにやって下さい」と。

例えばアーサナのやり方。
痛くない時は効いていません。
これがすなわち負荷をかけて下さいっていう意味ですね。

負荷なのかストレスなのか、どこで自分がそれを線引きできるのか。
その回路を開発していきながら、じわじわと負荷を多くしていけるようになっていくのが、人間に限界っていうのはないんだなぁと感じることにつながっています。

知らず知らずのうちにその負荷が、去年よりもたくさんかけてもストレスになっていない。一昨年よりも倍ぐらい負荷がかかってるけど、結構楽しんでる。

やってる最中はあぁ大変と言いつつ、でも終わった時に相当の達成感があって、あ、意外とストレスじゃなかったんだということが後でわかるっていうか。
その辺を自分の中で見極めていく目というのが、また大事になるかなと思いました。

先日、テレビ局の取材があって、77歳、72歳、68歳の方の体験レッスンを行いました。

巷のそういう年齢が、あまりにも体の老化が進んでいて手と足の握手もできないっていうのを見た時に、シャンティパットにいる80代は、20代の人ができないようなことを普通に息も切らさずに同じようにやるので、私の中でもうそれが普通になっていたんだなと。

何もしてないとこういう体になっちゃうんだというのを見せていただいて、今思い起こせば、シャンティパットのシニアも入会された時は同じような状況だったと思います。

でもその全員が当たり前のように負荷をかけなさいと言われてやり続けている間に、知らず知らずのうちに今ではみんなと同じことを普通にやってる80歳ですから。
やっぱりすごいなぁと。

自分に挑戦し続ける気持ちで、ストレスじゃなくてこれは負荷なんだと自分が納得してかけ続けた結果、やっぱり20代30代と同じことが同じように一息10秒吐きながらできるって。
「なんて素敵!」と思いました。

それは魂を磨くという意味でも同じことが言えますし、外的な仕事の量という観点で見ても同じように言えるのかなぁということを思いました。
ヨーガ的に言えば、クリヤの集中力の限界を突破するということもそうですし。アーサナも絶対にずっとチャクラーサナをやり続けるって、好きであればですよ。

自分にそういう風に負荷をかけていくっていうのは、いつまでも無限の可能性を追求していくという意味でとても大切なことだなと思います。

ヨーガ教室 シャンティパット主宰 紙や まさみ
2018年1月10日(水)朝のクラスで