本気の扉が閉ざされる時

人間の心の中には、汚いものも、醜いものも、ずるいものも、よこしまなものも、みんな平等に神様がくれたので、あります。でも、それを上回る力として希望があり、明るいものがあり愛があり、最終的には何も言わず本当に真心で、いつも祈れる可能性を全員がもらっています。それなのに、なぜそれを使わずに、暗い重たいネガティブはものばかり大事にして仲良くして「あぁ、自分はこんなに辛い」「こんなにいじめられている」「こんなに不公平だ」というものにすがるのでしょうか?言い換えれば、それはただの自己満足です。口では「やめたい!」と言いつつ、どこかその暗さの中で満足している時、本気の扉は固く閉ざされています。
ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ