気づけたという事、そこが土台作りです

見ている自分というのは、「こうであったらいいなぁ」という場合が多いです。自分が自分に発している巧妙な言い訳というのは、見抜けないことが多いんですね。それを自分で気づけるようになるかが、人生を軽やかにしていく鍵です。巧妙な言い訳があるうちは、進歩がないんです。結局、砂上の楼閣で、どんなに立派に砂の上に建てたって、地面が砂だから壊れていく。無駄な労力をたくさん使うことになります。なので、ありのままの自分とはどういうものなのかを、しっかり見て気づいていくことです。自分の理想とかけ離れていたとしても、落ち込む必要はありません。それがありのままだから、気づけたという事だけで、ものすごく素晴らしいことなんですね。
ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ