思い込んでいる自分を疑う

私は「自分を疑う」という言葉を使います。単純に「点検する」と言うと、自分の目がすでに色めがねをかけているので、言葉としては「疑う」方がいいと思い、この表現を選んでいます。自分をどんどん疑っていくと、それは思い込んでいる自分の姿であって、本当はもっと自由な、本来のすこやかさが隠されているのが見えてきます。アーサナをやる時も一緒です。このポーズはこういうものだと思い込んだ時から、そのポーズは進歩しません。やるたびに「これで本当にいいのかな?」って思うんですね。そういう気持ちでひとつのポーズをずーっとやり込んでいくと、「3年前に思っていたのはやっぱり間違っていた」ということがわかったりします。 ヨーガ教室シャンティパット主宰 紙やまさみ